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霊能者監修 霊感・霊視の世界

リレーエッセイ

第3回 予知夢から知る未来とは 【聖佛(せいふつ)霊能者】

聖佛(せいふつ)霊能者のプロフィール>>

当たる予知夢
とてもイヤな夢を見ました。体が腐っていく夢です。夢判断で調べてみると、不幸の前兆だそうです。なんだか怖いなあなんて思いながら何気なくすごしていると、ある選択肢が訪れました。今朝の夢判断を思い出し、なるべく不幸にならなさそうなものを選んで難を逃れると大成功だったことがあります。
……もしかしたら、あれは予知夢だったのかもしれない。きっかけはそんなささいなもの。それから夢を見るたび自分なりに分析をして、毎日の運勢を占ってきました。
ある日、友人との雑談で今朝の夢の話になりました。その内容を聞くと、直感で良くないことが起こるとわかったのです。何気なくアドバイスをしてみました。翌日その結果を聞いてみたら、あやうくとんでもない失敗をするところだったといいます。それは髪を切られてしまう夢で、まさしく凶兆のシンボルでした。しかし私はそれを知らないうちでも、これはおそらく予知夢になるだろうという不思議な確信があったのです。
そんなこともあって私に予知夢や夢判断の相談を持ちかけてくる人が多くなりました。今回はその中で、私が霊能者として電話占い花紫に所属する前に鑑定した、特に印象深かったケースを2件紹介します。

ケース1.映子さん(仮名)の“選択”
映子さんは2人の男性に告白されて迷っていました。返事に悩む中でのある日、こんな夢を見たといいます。
「Aさんがにこやかに笑っていて、Bさんがさめざめと泣いている」
映子さんはどちらかといえば、いつも楽しく笑わせてくれるAさんに好意を持っていたのだけれど、その時はAさんよりもBさんに対して申し訳ない気持ちが強く起こり、彼に対して誠実に向き合いたいと思ったらしいのです。「ヘンな夢だね」なんてその場では笑っていたけれど、それは予知夢や夢判断の典型的なサインといわれる「逆転」なのです。
例えば、自分が殺されそうになる夢を見ると、不吉なことが起こるのではないかと不安になりますが、そうした内容は夢の世界だとしばしば「困難の解決」や「不安の解消」といった“吉兆”と捉えられています。しかし、ここで余計なお節介をするのもよくないと思い、あくまで友達としてのアドバイスをするに留めておきました。
後日、まだ決断しかねている映子さんに、さりげなく「また何か変わった夢をみた?」と聞いてみました。すると映子さんはこう言ったのです。
「最近、やたらと犬が夢にでてくるんだよね。楽しく散歩できる犬もいれば、吠えたり噛みついてくる犬もいたり。……別に犬がほしいとかいうわけじゃないんだけど」と。犬はパートナーや人間関係の象徴とされているものです。仲良く接することは良好な関係性を暗示していて、上手く接することができないときはケンカや裏切りといった出来事が起きる可能性を示しているといわれています。そのとき私はこれを予知夢として映子さんに伝えようと決心しました。
「もしかしたらの話だけど、Aくんの気持ちは本気じゃないかもしれない。Bくんとなら上手にやっていける気がする。表面的な楽しさや心地よさだけじゃなくて、安心や信頼を持てる誠実な方を選ぶようにした方がいいよ」と。
1週間後、Aくんの浮気が発覚しました。私のアドバイスがあって、映子が問い詰めたわけではありません。2つの夢にあった通り、Aくんのにこやかな表情の裏に隠れた下心があり、映子さんを裏切ることになったのです。映子さんのためになることをできたのでよかったのですが、ホッとしたのと同時に予知夢の恐ろしさを感じたことを今でもはっきり覚えています。

ケース2.侑子さん(仮名)の“運命”
実のところ、私の予知夢は百発百中というわけではないのです。夢占い、夢判断のような市販の本をたくさん読んで勉強しても、未来を見ることはそう簡単にできません。はじめは興味本位で自分の未来を想像していましたが、徐々に不安ばかりが大きくなり、いつからか夢を見ることにうんざりしていたのです。そして私は“あること”に気が付きました。予知夢でいくつかの解釈ができるときに、「こうなってほしくない」と思う方へと、決まって物事が進んでいくようになっていたようなのです。
ある日、私の親友である侑子が重い病気にかかりました。そんななか、二人でショッピングに出かける夢を見たことがあります。私はお気に入りの服を見つけることができたのですが、侑子が欲しいと思った服はどれも値段が高かったりサイズが合わなかったり、結局は見つけることができなかったのです。買い物(特に服)は自分が望むものの象徴とされています。一般的な解釈によると、私は現実にある程度の満足感を持っていて、侑子はそれを手に入れることが困難な状況であるといわれるでしょう。つまり侑子の病気が進行してしまうことも予想できます。私はそうなってほしくないので、その思い必死でかき消す必要がありました。しかしそう考えれば考えるほど、侑子の病状は悪化していってしまったのです。
私は侑子といっしょに憧れの大学へ行く約束をしていました。私は侑子の深刻な状況のなか、じっとしていることができなくて必死に勉強しました。人の心配ばかりで自分の目標を叶えられなかったなら、きっと心配された方も浮かばれないでしょう。まして人を軽々しく励ますことは失礼にもあたるんじゃないか。
そんな考えもあって勉強を続けました。侑子を案ずる気持ちはたしかにありましたが、運命や人生といった見えない不安におびえたところで何にもなりません。侑子にしっかりと合格の報告をすべく、雑念を振り払って勉強に励みました。そうした行動の結果はわかりませんが、侑子は徐々に回復に向かい、私も無事に合格を果たしたのです。
不思議なことに、侑子も闘病中に予知夢のようなものを見たといいます。その内容は、遠くで手を振っている私だったそうです。いつもだったら“じゃあね”という別れのニュアンスに感じたかもしれないけれど、そのときは“おーい”とこちらに呼び求めてくれて、そこに行ってみようという気持ちになった、という妙な感覚だったそうです。
予知夢や夢の判断においては、さまざまな解釈をすることが可能です。例えば夢に、久しく会っていない旧友が現れたとします。それは、ある意味では旧友があなたに向かって送るメッセージであり、ある意味ではあなたから送る旧友へのメッセージとも読み取れます。そのように解釈の方法を誤ると、まったく逆の結果を招き寄せてしまうこともあるので、とても重大かつデリケートな問題ともいえるでしょう。
「ああなるかもしれない、でももしかした、こうなるかもしれない」と、すべての可能性を説明することは簡単です。しかし、それはかえってその人の行動や運命を限定することになってしまい、人の未来を変えることは本来望ましいことではありません。
予知夢はあくまでも、“可能性のビジュアル化”です。自分の未来にはこんなことが待ち受けているかもしれない、という想像の一部にすぎません。そのような単なるイメージに一喜一憂しても、現実に起きる出来事はひとつです。どんな夢を見て、どんな未来を感じ取ったとしても、毎日をていねいに自分らしく生きることを心がければ良い結果があると私は信じています。
私がいえることは、予知夢で未来を占うことは簡単ではないいうことです。しかし、人生を左右するかもしれない大きな出来事の前触れとして表れることが決してないわけではありません。人生において、いつ重大な決断を迫られるかもわからないので、日頃からその準備をしておきたいですよね。そのためにも夢が送る神秘的なメッセージを感じ取れるように、いつでも心を澄ませておく必要があるのだろうと考えています。人生や運命に負けず、いつでも自分らしい生き方ができように、強い精神力を養っていきたいものです。